30日の日曜日、審議中の安全保障関連法案に対して反対集会が開かれた。
正直日本のデモとは思えないほど規模がでかく、ニュースでその光景を見て驚いた。
近くにある企業を訪れていたため、当日の夕方まで近くに居たのに気付かなかったとは何たる失態。

www3.nhk.or.jp
こんな面白い現場に生で立ち会えるのはここ数年で昨日くらいではなかっただろうか。
こんな大勢がひしめいている光景、フェスの景色か渋谷のスクランブルくらいしか見たことない。
Contents
安保法案とSEALSと就活と私
そもそもなぜ急にこんなにも大きな話題になっているのだろうか。
研究と自分の趣味に夢中になっている、1人の大学院生の私にとっては、
恥ずかしながらニュースをたまにしか見ないので、無関心に近いところだった。
本当に芯のある反対なの?
ちょっと遠回しになってしまった。ハッキリ言おう。
もっと毒づいて言うならば、この集会に参加している謎の大学生たちの大半が
なにが問題なのか、どうして反対しているのか分からずに参加してるのではないだろうか。
ちなみに、私の周りでは誰一人このような活動をしていない。
私だけ取り残されているのではないかと気になってFacebookを漁るも、
実業家から大学生まで幅広く友達がいるが、誰一人参加した旨の記事を書いていない。
良識のある友人に囲まれて幸せである。
なぜ急に、安保理についてだけデモが起きるのか
例えば、安保法案なんて国民1人1人からの距離が遠い夢の様な法案よりも
(自衛隊に身内が居たり、戦争経験者は違うかもしれないが)
介護士の手当が低い問題、マイナンバー制度、国民年金情報流出・・・
数えればきりがないくらいもっと自分たちの生活に密接した問題があると考える。
これらのことに関しては声を上げて主張しないくせに
なぜいきなりこんな大規模のデモになるのか甚だ疑問である。
何の考えなしに安倍総理を批判したいだけなのだろうか。
ある友人が言うように反日家が煽っているだけなのか・・・
とりあえず、就活してて思うこと
私にとってデモが起きていることが疑問だということは分かって頂けたと思う。
ここで話は変わるが、プレ就活して感じたことを書いてみる。
最近、プレ就活のようなことをしていて思うのは文系の優秀な学生との知識差である。
理系の8割くらいの人間に言いたいことであるが、理系の人間は知識(常識)がない。
もちろん文系学生も大半がそれを持ち合わせていないが理系の人間は思考力は鍛えられるのでタチが悪い。
それらのしょうもない文系や、理系の大半のどうしようもない人々と話していて受ける印象は、
相手を変に言いくるめたり、理屈っぽく語るくせにバックグラウンドがない、つまり話の中身がないというところだろうか。
一般常識とされるような分野についてしっかりした知識がないから普段から物事を考えないし考えられない。
特に理系のアホは頭の良いオトナから見れば、論理的に考えているフリである。
本当に見てられない痛い奴が結構居る。
偉そうなことを言っているが、もちろん私もダメダメである。
こういうことはなかなか自分では気づかないが、
「お前が思っているよりお前はダメだぞ」といろいろな人に言ってやりたい。
プレ就活を通して、人と真剣に話す機会が増えた。
そのことで、先に述べたような知識の問題など、自分や周りの人間を客観的に見ることができた。
また人の悪いところ、いいところがハッキリと見えるようになってきた。
それも相まって、私にとって、今回の騒動で活動している若者が目につくのだろう。
もしかしたらシールズは個々が意識を持つスーパー集合体?lol
それはさておき、思考力を鍛える意味でも、今回の政治の問題はすごく刺激を受けた。
歴史的背景をひも解き、副次的に左翼、右翼の考えを学び
自分がどちらの立場なのかを考えることはとても有意義なのではないか。
もし私の年の変わらないような若者たちがこういう思考の流れを通った上で確固たる意思を持ち安保理に反対しているとしたら
私はSHIELDSに属して主張をしている人に、少し負けていると感じてしまう。
知識、思考不足からくる主張の機会損失といったところだろうか。
自分と同じような年の人間がどんな考えを持ちどうやって行動しているのかが気になってしまう。
皆さんの周りにはこのような活動家はいるのだろうか。
私も安保理について、一般的社会人かそれ未満の知識しかないんですけどね。
だからSEALSさんが先に述べたような団体であるならば、院生なのに恥ずかしいと思う。
もし適当な連中が集まってウェーイしてるのだとしたら暇で羨ましいし、しょうもないと思う。
まとめ
主張したいのは、以下の3点である。
私の周りには参加者が1人もいないのにアレだけの規模でデモが行われている気持ち悪さ。
また、これだけのデモが起きている時代に自分が立ち会っていること。
そして最後に、これだけの若者がもし確固たる意思を持っているとしたら
そいつらに比べ私は思考しない勿体無い人間だなと思うこと。
自制する姿勢は良いですが、理系の人間は知識(常識)がないとまで言ってしまうのは、感心しません。社会は分業で回っているわけだから、当然コミュニティによって常識の範囲は異なってきます。どこまで、生活に直接関係しない知識の収集にコストを払えるかは難しい問題だと思います。
確固たる意志があるかどうかが、問題だというのには非常に共感しました。
敗戦と戦後教育による経緯を経て今日に至る憲法をどう扱うべきか、国防における集団的自衛権の必要性、外交と軍事産業の経済的な側面を併せて、自分の考えを持っておきたいものだと私も思います。
普段はコストの無駄だと思うので、コメントはしないのですが、同じ院生として熱意を持って書かれたこの記事に触発されてコメントしました。デモも行ったことはありません笑
はじめまして。
コメントありがとうございます。
言い過ぎた表現だったと反省しています。
私も、学部時代は”理系は常識がない”(この場合の常識は広義)というのは”理系はオタク、キモい”レベルの固定観念だと思っていました。
しかし、就活やコンテストや学会などでたくさんの学生と触れる中で理系の常識の無さを考える機会が増えてきました。
だからといって、文系の方が”常識”があるかと言われるとそうでもないと思います笑
どちらかと言うと理系よりはある気がする、くらいです。
”自分の生活に関係のない情報収集にコストは支払えない”という意見についてはその通りだと感じました。
ただ折角小中高大と何年も教育を受けてるのに、私たちは何も考えてないなと感じます。これこそ時間やコストの無駄だったかもしれませんね。
特に海外の学生と話すとそれをよく感じます。宗教や国や政治などの問題となるとヒートアップします。
彼らは、自分の確固たる意思に基づいた意見を正しい、正しくないに関わらずズバズバ言ってきます。
ブログでは触れませんでしたがそういうことも記事のきっかけになったかもしれません。
同じ院生なんですね。
初めて社会的な記事を書いたのでレスポンスを頂いて嬉しい限りです。